つまりおわり

昔から困っていることがある。自分の話をすると泣いてしまうことだ。その内容が真剣であればあるほど、泣いてしまう。


親と進路の話をする時も、ゼミの発表をするときも、就活の面接でも私は全部泣いたし、全部の人に「ずるい」と思われた。泣くのはずるいらしい。「泣いたら何も言えなくなる」らしい。別にこっちは勝ちたくて泣いてるわけじゃない。むしろお前を絶対に殺してやると誓いながら泣いていることだってある。涙が出てしまうのだ。そういう性質なだけなのだ。非常に生き辛い。誰だって人前で泣きたくない。恥ずかしくて惨めで汚いから。何の得にもならないから。人に軽蔑されるだけだから。

泣くな、と頭で念じるほど涙が出る。声が震える。顔が赤くなる。みんなは、何でこんなことで、という顔をしている。余計に焦ると涙が出る。私はそれを全てわかっている。

 


今日も言われた。泣いたらずるいと。その通りだと思ったので何も言わなかった。こういう性質なんです、と言っても馬鹿みたいに見えるだろう。確かにずるい。相手が悪く見えてしまう。私も信じられない。こんな小さな些細なことで泣くなんて本当に気持ち悪い。私はただただ弱くて、自意識過剰で、気持ち悪いゴミカスだ。そう思うともっと言えなくなる。私に人の時間を奪う価値はないから頭にストッパーがかかる。

 


ネットで少し検索すると似た症状を持った人はたくさんいて、みんなどうやって生きてるんだろう?と私は不思議に思う。例えば自助グループとかがあったら、会合のたびに全員泣くのだろうか。そう思うとちょっと面白い。全然面白くない。

私はINFPだしHSPなのかもしれないしちょっとADHDの要素もあるのかもしれないし、PMSどころかPMDDなんだと思う。ふざけんな私をアルファベットの羅列で説明するな。

私を表す言葉がない。私は帰属するものがない。

 


自分の考えや、思いを、言葉で伝えるのはとても怖い。文字ならだいぶマシになるから、私は大概の大事なことをラインやメールで済ませてきた。その文も2度と読み直さないけど。

カウンセリングに行きたいとずっと思ってるけど、ただでさえ自分のことを話すのが嫌なのに、なんで金を払って嫌な思いをしなければならないのかと思ってしまう。だからといってメールや電話で相談するのに一万も払う覚悟がない。お金もない。

 


そうだ、そもそも自分に投資する金はないのだ。美容院に行くのも好きじゃない。鏡の前に座ることは苦痛だ。脱毛! なんのために? 誰にも私を見せたくないのに? 毛がない私になんの意味が? 爪を綺麗にしたい? 私はいつも千切るから深爪だ。汚い。ごめん。服を買いに行く服がない。着て行く場所も。

嫌いなものに金はかけない。だから私は自分に金はかけない。肌が焼けようがどうでもいい。眉毛が汚かろうがどうでもいい。どうでもいい。

自分を振り返ることが、顧みることが、見つめ直すことが嫌いだ。テストの見直しもほとんどしなかった。復習もしなかった。もらったプリントはランドセルの奥でクシャクシャになっていたけど、見ないふりをした。自分の部屋の掃除も嫌だ。過去の自分を掘り起こすことと等しい。私は自分を好きだったことがない。嫌いなものと向き合うことはしない。

 


私には現実逃避の方法がいくつもあって、それでずっと自分を保ってきた。逆に言うと、自分と向き合って改善するタイミングをいくつも葬ってきたんだろう。くだらねー。

 


自己肯定感が低いと信じられないくらいに生きづらい。「小さな成功体験を積み重ねよう!」という解決方法をいくつ見てきただろう。

小さな成功体験を積み重ねても、それは自分のおかげとはならないのだ。タイミングが良かったからだ。環境がよかったからだ。全部たまたまなのだ。

私は恵まれた人間だ。東京に実家があって、進学先も選べて、親との仲も良好で、仕事もある。なのにこんな息苦しいのは、おかしい。私に、そんなことは許されない。世の中にはもっと大変な人がいて、その人たちに耳を傾けるべきで、私が苦しいのは甘えだからで、本当はこんなの苦しいんじゃなくてやってないだけで、ていうかもっと、私がうまくやればいいだけで、仕事ができればいいだけで、笑えればいいだけだ。

 


私が言われてきたこと。

「なんでもっと出来るのにやらないの」。

たくさん言われた。たくさん。

ありがとうね私に期待してくれて。私って努力してないように見えるよね。そうだよ努力してないもん。怠け者なの。できないフリをしてるように見えるよね。そうだよね。本当はやれるのかもね。やれない私が悪いんだよね。ずっとね。もったいないって言ってくれてありがとうね。そうやって私がやってきたことを否定してくれて嬉しいよ。

 


意地悪をかいた。ごめん。こんなことが言いたいんじゃない。もっとできるのになんでやらないのって、私が一番私にずっと言ってるんだ。

私がずっと期待してるのは私だ。裏切ってるのも、私なんだ。

ずーっと泣きたい。何でこんなふうになっちゃったの?って、ずっとずっと思ってる。私は私に。

 


人がため息をつく。私のせいだと思う。大きな音でドアを閉められる。私のせいだと思う。誰かの笑い声が聞こえる。私が笑われていると思う。頭の奥で、誰もお前にそんな興味ねえよと笑う声が聞こえる。私は必死に愛想笑いを返す。そうだよねと唱える。誰も私に関心なんてないはずだと唱える。それでもどこかで誰かが怒鳴ってると、恐ろしくて何も出来なくなる。私が怒られてると思う。

スイミングスクールもすぐに辞めた。隣のレーンの先生がよく怒鳴っていたから。本当は泳げるようになりたかった。なれなかった。

 

 

 

人と人とのコミュニケーションは、期待と期待を擦り合わせて妥協していくことだから、全部が怖い。億劫で仕方ない。人に失望されるのも、人を失望するのもいやだ。とても恋愛なんて出来ない。気持ち悪いし怖い。報連相もロクにできないので、仕事もしたくない。挨拶も好きじゃない。人と関わることが好きじゃない。

だけど社会にいるしかない。私は弱い。一人では生きていけない。たくさんとも生きていけない。

 


折り合いをつけなくてはいけない。

 

 

 

はやく人がいなくなるといい。

みんなが脳みそだけなら、私はちっとも怖くない。