青くてくさい!

『私ときどきレッサーパンダ』、『メタモルフォーゼの縁側』を見てオタクの女の子がメインになることについてに思いを馳せた。ギークやナードの男主人公が夢を掴む話でははなく、"喪女"や"腐女子"(私はこの言い方が嫌いなんだけど)が幸せーー大抵は彼氏を得ることーーに向かって努力するでもなく、オタクの女の子が、好きなものを好きなままで、自分を認めるという物語についてのこと。

私は自分のことをオタクだと自称したことはないんだけど、メイの気持ちも、うららの気持ちも、痛いくらいに分かる。

ノートの端っこにへたっぴな絵を描いていた。授業中も妄想に耽って、もしもこんな物語があったらどんなに素敵だろうと考えて、クーラーもない自分の部屋を締め切って夢中になって漫画を書いて、親に見つかって吹き出しのセリフを読まれて恥ずか死にそうになったり、りぼんや、ちゃおの投稿ページにある漫画の書き方講座を切り取って、ファイルに入れて眺めたりして、スクリーントーンの上からセリフを書きたい場合はトレーシングペーパーの上から書くのか、なんて学んだりしていた。放課後の教室でちょっとエッチな同人誌をこっそり読みあってはしゃいだり、ニコニコ動画(が青春ど真ん中にあるのと、SNSが青春ど真ん中にある今どちらが不幸なんだろうとたまに考える)で流行っていたくだらないMADを友達に教えたり、交換ノートに授業毎時間ごと妄想…やイラストを…書いたり…(これは本当にいまだに所持している人即座に破棄してほしい)、駅前の文房具屋にコピックを買いに行ったり、個人サイトを作って、ランキングサイトに登録したり、好きな作家に感想を送ったり、した。描いたり、書いたりすることが、楽しかった。下手くそだったけど、描きたいんだから、仕方がなかった。作るというより、漏れていく、みたいなものに近かった。

そういう自分を、認めるのは、結構難しい。恥ずかしくて、痛々しい思い出で、思い出すとワッと顔が赤くなる。そんなこともあったね〜と流せるほど、切り離せているものでもないから、余計に恥ずかしい。右向きの絵ばかりが溢れたノートを思い出すと、ギャッとなるし、昔作ったサイトが電脳空間のどこかで浮遊してると思うと、卒倒しそうになる。

だけど、思えば、やめたことがないのだ。つくること。私が唯一続けてることだ。続けるしかないこと、でもある。物語に委託しながら、少しだけ、自分を良くすること。歪でも完成させて、とにかく投げてみると、波紋が広がって、たまに誰かに当たったりする。

メタモルフォーゼの縁側で、一番好きな場面。うららがベッドに横になりながら、好きな漫画の好きなキャラクターに言う。ウジウジした、だけど好きな人をずっと好きでいる、咲良くんに。

「好きなものを好きっていうのも 綺麗な人をうらやましいと思ったり 将来はこうなりたいみたいのとか そういうの 全部恥ずかしい 疲れる」

「咲良くんは自分の大事なものを大事にできてすごいね」

「私 咲良くんになりたい」

私もだよ。私も咲良くんになりたいんだ。咲良くんになりたくて、ずっと、続けてきたよ。


メイやうららを見ていると、泣いてしまいたくなる。大きな画面(レッサーパンダを劇場公開しなかったの本当に悲しい)で、あらゆる人に、私が知っている女の子が流れていることに。痛々しくて、恥ずかしくて、でもやめられないから、しょうがないことに。面倒くさくて、終わりがなくて、満足できないことに。だけどそれが、とても素敵なことに。好きが伝播して大きくなっていくことに。ちょっとだけ毎日がよくなることに。私も知っているから。