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私には嫌いなことがたくさんあって、その中の一つが盛り付けである。何かを作った後に、綺麗にお皿に盛る、アレ。ちなみに食事を作るのは、意味が分からなくて面白いので、嫌いではない。私が作るものは、全て何も美味しくないけど。味見をしないからかもしれない。作ってる途中で味が分かったら、もう食べる意味ねーな、と思ってしまう。自分でも、この思考回路は訳が分からない。

ともかく盛り付けが嫌いだ。そして苦手である。センスがない。楽しさがわからない。なので私が盛っても全く美味しそうに見えない。どうすればいいのかも分からない。ご飯を盛るのも苦手だった。小さい頃、家族みんなのご飯をお茶碗に盛り付けて、こんなにぺったり盛ったら全然美味しそうに見えないでしょ、と母親に言われて、ものすごく機嫌が悪くなった思い出がある。悪くなるな。アドバイスを受け入れろ私。

デコレーションや、ラッピングも同等に苦手である。何も楽しくない。綺麗に飾り立てたものを、貰ったり、お店で見たりする分には、ふぅん、で終わるのだけど、自分でやるとなると、何故か不快な気持ちになる。既存の食べ物をデコレーションして美しくする動画を見ると、すごく冷めた気持ちになる。例えば、プリンや、アイスを使ってお菓子を作るとか、そういうのも、へえ、と思う。プリンや、アイスを、そのまま食べればいいのに。だから、お店で買ったお惣菜を、お皿に盛るのも、なんだかな、と思う。一人暮らしをしていた時は、そんなことをしなくてよくて、そこだけが唯一嬉しかった。食器を凝るというのにも、あまり興味がない。外食をしたときに可愛いお皿だと嬉しいが、それだけである。インスタ映えするような可愛いスイーツにも「かわいいね」と言うが、これは「(世間的にこういう形のものは)かわいい(と言われているよ)ね」という意味であり、私の感情は含まれないことが多い。

話がずれてきた。

思うに、私は暮らしをよくする向上心というものがさっぱりないのだ。バルニー、助けてくれ。洗濯物干すのもヒップホップなのだし、とにかく私はヒップホップではない。つまり、枕カバーを定期的に替えるとか、シーツを洗うとか、衣替えをするだとか、掃除をするだとか、洗濯槽の汚れを気にかけるだとか、良い食生活を心がけるだとか、そういうものを優先順位に持ってくることが、本当に出来ない。生活というやつだ。その生活の極みな気がする。盛り付けというのは。食べたら無くなるものに対して、栄養以上を求める行為は、怖い。スポーツカーが欲しいとか、タワマンに住みたいとか、それくらいの生活に対する向上心を感じる。怖い。

結婚も、生活の極みな気がしていて、かなり恐ろしく、また不快に感じる。

起きる。