大丈夫だよと言ってもらうために2時間2万の添い寝屋に行った話

 

 

金で男を買った。初めて買った。人身売買じゃない、売春でもない、つーか犯罪ではない。添い寝屋だ。健全な添い寝屋。男性が添い寝をしてくれるサービス。私はそれに2時間で20000円払った。
大丈夫だよ、と言ってもらうために。

 

 


寂しかった。最近ずっと、訳もなく寂しかった。

公道でさびしいよお! と泣き喚いて地面にすがりついていたら、誰か助けてくれるかな、とか平気で思ったし、電車内で泣き叫んでいる赤ん坊を見るたびに、私もその気持ちわかる!!!助けて!!!!と叫びたくなっていた。誰でもいいから慰めてほしかった。誰かに無条件で許してほしかった。大丈夫だよ、と言ってほしかった。

恋人はいなかった。作る気もなかった。私は、大丈夫だよ、と言ってほしいだけで、相手に大丈夫だよ、と言ってあげられないから、作れなかった。でも、誰かに許して欲しかった。根拠のない肯定がどこまでも欲しい。

幸いなことに友人は何人かいたので、どうにかできないか頼もうかな、と思ったけど、私の理由のない寂しさや、原因の分からない罪悪感を、対価も何もなく、友達や知り合いにぶつけるのはあまりにも一方的すぎる気がして、気が引けた。だったら、お金を払って対価を渡して、後腐れのない方がいい、と思った。なので探した。私に優しくしてくれて、慰めてくれて、適当に許してくれるサービスが、どこかにないか。

まずは女性用風俗を調べた。(最初に風俗から探すところがおかしい、と人に言われたんだけどそうかな。自分を慰めると言う意味では近いので、理に適ってる気がするんだけど)。結構色んなサービスがあって、楽しかったが、粘膜接触はしたくなかったので、早々に諦めた。レビューもサクラ臭くてあまり参考にならなかった。そもそも性接待を受けながら「私を許してください」と懺悔するのを想像したら地獄だったので、やめた。
ホストもちょっと考えた。だけど、お酒はあんまり好きじゃないし、私のこのうまく形容できない悩みを、チャラついた男性にまあまあ飲んで忘れちゃおう!なんて言われた暁には死にたくなると思ったので、やめた。
次に探したのはレンタル彼氏だった。だけど私は別にデートがしたいわけではなかった。よく知らん男とご飯を食べたいわけでも、遊園地に行きたいわけでも、映画を見たいわけでも、カラオケに行きたいわけでもない。そんなことはよく知ってる人間と行く方が楽しい。
私は、安心感が欲しいだけだ。この欲求にデートだのときめきだの余計なプロセスはいらないのだ。ただ、私を抱き締めて、大丈夫だよ、と言ってほしいだけだ。

そうやってぐるぐるネットを回って、結局見つけたのが添い寝屋だった。

ただ、男性が、一緒に寝てくれるサービス。これじゃん! と思った。性的な行為もなく、余計な過程をすっ飛ばして安心感だけくれるサービス、これだ、私が求めているものは。


ただ、値段が高かった。一番短いコースですら、2時間で2万円だった。キャバクラにもホストにも風俗にも行ったことがないので相場も分からないが、私には中々の大金だった。え、寝るだけじゃないの、これ。別に部屋に温泉が付いてたりご飯が出てきたりするわけじゃないでしょ? 2万? マジ?
ちょっと考えた。何日か考えた。でも、よく考えれば考えるほど、値段が高いほど罪悪感が薄れる気がした。だって、こんなに払うんだから、ちょっとくらい私を許してくれるんじゃない? 対等なんじゃない? 厚かましくないんじゃない? こういうことされていい身分なのかどうかとか、くだらないことに迷わなくなるんじゃない? そう思うと、俄然乗り気になった。ホームページを隅々まで読んだ。キャストのページに飛び、光で白く飛ばされた男の子たちの顔と、虚偽で固められている美しいプロフィールを眺めた。のっぺりとしていてどこまでも目が滑った。この中の誰でもいいから、私を許してくれないかな、と思った。たったひとりでいいから。一瞬でいいから。

 

そっと予約のメールを送った。
そうして、私ははじめて、男の人をお金で買ったのだった。


そのうち、希望通りのスケジュールで大丈夫だと連絡が来た。場所は自宅でもホテルでもいいらしいが、私はどちらも抵抗があった。たまたま添い寝屋が持ってるマンションに空室があったので、そこを選んだ。休日料金の部屋代は3000円だった。前日に、待ち合わせのために当日の服装を教えてほしい、と連絡が来た。あんまり気張ってもしょうもないな、と思って普段通りの服にした。ただ、いかがわしかったら途中で逃げられるようにしよう、とスニーカーを選んだ。

だけど、いざその日が来ると、私はすっかり怖気付いていた。マジで行きたくない。嫌だ。何でこんなことしなきゃいけないんだろう?なんで頼んじゃったんだ?意味分かんらん。無理。やめたい。結局ギリギリまで粘って、意を決して、家を出た。行った方がいい。その方が絶対人生面白い。でも嫌だ。悶々としながら自転車で爆走していたら、警察官に怒られて、散々だった。電車に乗っても、窓に映る自分の姿を見るたびに、だんだんと無理になった。気持ち悪く思われないかな、と不安になった。その度に、いや二万払うんやぞこっちは! 金ヅルや!行けるやろ!と己を鼓舞した。対価を払うことが私を奮起させた。唯一金だけが私に自信をくれた。しょうもない人間すぎる。

待ち合わせ場所は駅前だった。久しぶりに待ち合わせの五分前に集合場所に着いた。緊張と好奇心が入り混じって最早感情が無になっていた。尋常じゃなく手汗をかいていた。

しばらく人が行き交って行くのを眺めていると、横から声を掛けられた。目が大きくて、白い、普通のきれいな男の人だった。
彼は、○○さんですか、と私を予約した名前で呼んだ。私はフリーズしながら、はい、と答えた。彼は微笑んで、「じゃあ行きましょうか」と歩き出した。私はちょっと途方に暮れながら、後を付いていった。
やばい。とうとうはじまってしまった。

彼は物静かで、少し年上に見えた。ちょっと中性的で、涙袋が大きくて、白くて、清潔感があった。綺麗にしてます気を遣ってます、という感じがした。私と背丈は変わらず、歩幅も同じくらいだった。もしかしたら合わせてくれたのかもしれない。マンションに着くまでの10分ほど、沈黙が続かない程度に、会話をした。他愛もない話だった。私もしょうもない話をした。彼は穏やかに笑っていた。

用意されている部屋は、マンションの最上階だった。着いた途端、彼の声が控えめになった。何でだろう、と思っていたが、すぐに分かった。玄関にはパンプスが1組あった。つまりどこかの部屋で今、どこぞの女が添い寝をされてるわけだ。そう思うとやたら生々しくて、引いた。私も今からどこぞの女になるわけだ。引く。
案内された部屋は五帖もないくらいで、間取りは普通だった。ただ、ドレッサーと布団だけがあり、アロマの香りと、クラシックが薄く流れていた。安っぽいといえば安っぽい。
最初にお金を払った。現実的なことは最初に済ませるに限る。彼が淹れてくれた紅茶を飲みながら、少し喋った。夢占いや、不眠症の相談もしてくれるらしい。何者なんだ添い寝屋。流石にすぐ同衾は辛かったので、だいぶ楽になった。


15分ほどダラダラ話した後で、そろそろ寝よっか、と彼が言ったので、緊張しながら布団に入った。どうすればいいんだろう、と思っていると、腕枕しようか?と彼が潜り込みながら尋ねてきた。してほしい。してほしいけど。
「ずっとやってたら痛くないですか……」と恐る恐る聞くと、「もう両腕に腕枕筋付いてるから」と自信満々に言われた。この世には妙な筋肉があるもんだ。
それならば、と、腕枕をしてもらった。頭重くないかな、と怯えていると、もっと楽にしていいよー、と笑われた。彼の腕はふわふわしていて、どこに筋肉があるのか分からなかった。質のいい筋肉は柔らかいんだ、みたいなことはゴールデンカムイで習った。そういうことか?
横に並んで、腕枕をしてもらいながら、おしゃべりをした。彼は、貰い物のホームベーカリーでパンを作ったら臭いパンが出来た、という話をしていた。他人のどうでもいい話は無性に安心した。

でも、もうちょっと人肌が欲しい。ていうか若干寒い。絶妙な温度調整やめてくれ。ちょっとだけ抱き締めてくれないかな、と思って、あの、と話しかけると、ん?と優しく答えられた。一瞬で頭が真っ白になった。

「ダ、ダキシメテクダサイ」

言ってみたはいいものの、愛を知らない悲しきモンスターみたいな声になって、舌を噛みちぎりたくなった。だけど彼は、「言い方」と吹き出して笑いながら、正面から抱きしめてくれた。
うわあ、と思った。
私、今、知らない人に本気で抱き締められてるよ。


そっと、目の前の平坦な胸に顔をつけてみる。人間の匂いがした。心臓がばくばくして、思考があちこちに飛んだ。
待って、そもそも、男の人に抱き締めてもらうのいつぶりだろうか。マジでトムヒドルストンと写真を撮った以来な気がする。あれも3万くらいしたな。お金払わないと私って抱き締めてもらえないんだな。可哀相に。すごい仕事だな。もし相手が生理的に嫌だとしてもこういうことやるんだもんな。ほぼやってること介護じゃん、風俗とかも介護だよな、ピンサロとかデリヘルに行ってる男友達もいたけど、みんなどういう気持ちなんだろう、このいたたまれなさと恥ずかしさは共通意識であるのか、それとも男の人って平気なのかな、ていうか何を考えていいのか分かんない、無理だ無理どうしよう。


頭を抱え込まれる。耳を撫でられる。髪を撫でられる。全部にどきどきした。だけど一番どきどきしたのは、不意に手を握られた時だった。咄嗟に「あのわたし手汗やばい」とほぼカタコトの状態でアワアワしたが、「僕も」とさらりと返され、何でもないように強く握りしめられて声が出そうになった。マジで、この仕事、すげーな。すげーな、この人。

私はじっとして、ただ彼の胸の音を聞いた。
彼のお腹が鳴っているのも聞こえた。生きてるな、と思った。人の体温はあったかくて、ますます汗をかいて、恥ずかしかった。

彼は私の頭に顔を埋めながら、「髪なんかつけてる? いい匂いする」と言った。こういう言い回しも研修で習うんだろうか。添い寝屋の研修ってなにすんだろう。てか髪、バサバサなんだけど。この前ブリーチしなきゃよかった。これムラシャンの匂いだし。そんないい匂いじゃないよごめんなんか付けてくればよかった…。

でも彼は、私の頭をゆるく撫でて、髪をくるくると掴んだりして、「頭あったかくて気持ちいい」なんて呑気に言っていた。何を返せばいいのかまるでわからなくて、「私も気持ちいいです」と潰れた声で言った。死にたさとありがたさは両立するんだと知った。

 


しばらく抱き締めてもらって、空気が緩んだ時に、覚悟を決めた。二万払ったんだから言ってもいいよね、ごめんなさい許してください。とうとう頼んだ。

「大丈夫だよって言ってくれませんか……」

改めて言うとアホみたいなお願いで、私は顔を見れなかった。多分彼はきょとんとした顔をしていたと思う。ちょっとびっくりしたように、「何が?」と聞かれたので、笑った。

そうだよね。何がだろう。

でもさ、これ、本当に分かんないんですよ。
こんなことして何の意味があるんだろうって思うよ。一瞬の寂しさを知らない人で埋めてどうするんだろうね。しかもこんなお金払って、私は何をしてるんだろう。他人の人生に便乗して依存するのは気楽で楽しいけどずっと続けて行けなくて、やっぱり私は自分の人生を生きなきゃいけなくて、それがすっごく辛い時があって、でも皆はちゃんと生きてるように見えて、しんどいんだよ。お金もないし、休みだってなくて、ていうか飼ってた犬が死んじゃって、ずっと寂しいよ。今この瞬間に無償で抱き締めてくれる人がいる人たちに本気でムカつくし、何で私には誰もいないんだろう、って泣きたくなる。何でさみしいことが周りの人と分かち合えないの。だけど私の好きな人たちがずっと幸せでいてほしいよ。誰も傷つかないでほしい。でも私だって安心してみたいよ。私の未来ってどうなっちゃうんだろう。ひとりでも生きていけるかな。何にも分かんない。分かんねーよ。

なんて、そんなことはとても言えなくて、「全部です」とやっとのことで言った。

彼はその泣きそうな声を聞くと、すぐに、私を殊更優しく抱き締めた。そして、耳元で、「大丈夫だよ」と囁いた。ぶわっと鳥肌が立った。あ、これやばいかもしれない。彼が私の髪を優しく撫でた。もう一度、とても静かに、「大丈夫」と言った。
本当に泣いてしまいそうになった。

この人は、私のことなんて何にも知らないし、私もこの人のことを1ミリも知らない。だから良かった。誰のためでもない無責任な言葉をが、一番染みこんできた。信じたいと思った。本当に、私はずっと、ずっと、この言葉を待っていたのだった。

同時に、馬鹿らしくもなった。余計に寂しくなった。こんなことして何になるんだろう。もう気持ちがぐちゃぐちゃだった。


だけど、彼は、私の髪や耳を撫でながら、小さな声で、「大丈夫だよ」と唱え続けてくれた。気持ちよくて、寂しくて、わけがわからなくなった。「なんかこれやばいです」と小さく言うと、彼は息だけで笑っていた。

後ろから抱きしめてあげようか、と言われたので、やってもらった。背中があったかくて、無性に安心した。死んだ犬の体温を思い出した。あの子はとても暖かかった。自分以外の生き物が近くにいることは、とても安心することなんだとぼんやり思った。指を絡めてくれたので、そっと握った。手汗はもうどうでもよかった。


私は眠ることなく、微睡むこともできず、じっとカーテン越しの光を見ていた。
頭の一部分はすっかり冷えきっていて、お前馬鹿みたいだな、とずっと嘲笑ってた。
隙間を一瞬埋めているだけだ。そんなの分かってる。外に出た瞬間、びっくりするくらい乾いて、また寂しくなる。馬鹿みたいだ。
でもこれくらい許してよ、と私は自分に怒りたくなった。今あったかくてきもちいいんだよ。この一瞬に縋って、誰かに頼るのは、悪いことじゃないんだよ。いいんだよ。きっと、みんなこうやっているんだよ。何かで誤魔化して、夜が過ぎるのを待ってる。私だけじゃない。みんなさみしいんだよ。だからこんなサービスがあるんだ。
繋いでもらった手にほんの少し力を込めると、ぎゅっと握り返されて、嬉しかった。
私はひとりじゃない気がした。そう思うことを許された気がした。


二時間はあっという間だった、のかはよく分からない。結構いっぱいいっぱいだった。最後の五分、もう一度、彼は私をぎゅっと抱き締めて、「大丈夫だよ」と囁いてくれた。「だいじょうぶかなあ」と私がふにゃふにゃの情けない声できくと、「うん、大丈夫」と再び根拠のない相槌が返ってきた。大丈夫ならよかったと、単純に思った。



帰り際、メッセージをもらった。私が身支度をしてるときに書いてくれたみたいだった。恥ずかしいから家で見てね、とはにかまれた。これも営業方法なんだろうな、と思った。
玄関に出ると、遠くの空が晴れていた。予報に反して、雨は降らなかった。エレベーターが来るのを待ちながら、私たちはぼうっと空を見ていた。すると、彼は大真面目な顔で、「見て」と空に向かって指をさして言った。

「あなたの未来だよ」

爆笑した。
そんなこと現実で言う人いるのか。いるわ。いたわ。ここに。めちゃめちゃに笑いながら、「それさ、言うの恥ずかしくない?」と聞いた。「すごい恥ずかしい」と本人もとても照れていて面白かった。すごい仕事だ。偉い仕事だ。


彼は微笑んで、またね、と言った。
また頼むかは分からないけど、もし頼むならこの人にお願いしよう、と思った。


帰り道の途中で、太陽はあっさりと沈んで、私の未来はすぐに暗くなった。卒業式終わりの、色とりどりの袴を着てキラキラした女の子たちの間を縫うようにして、私は駅に向かった。それから、同じように、電車に乗った。

添い寝をしてもらった。大丈夫だよ、と言ってもらった。だけどこんなの、慌ててヒビをつなぎ合わせたその場しのぎの対応みたいなもので、接着剤もアラビックヤマトみたいな貧相なやつで、形だって歪で、きっとすぐにばらばらになってしまうものだった。でも、そのヤマト糊でべたべたに固めたものが、なるべく壊れないように、私は慎重に帰った。多分、今日だけは大丈夫な気がした。
いつかどうにかなるといい。何かになるといい。

男の人はお金で買えた。安心は買えなかった。私を許すことが出来るのは、結局私しかいないんだと思い知った。でも、たくさん、大丈夫はくれた。それで満たされるかは別だけど、明日くらいは生きてみようと思えた。





家に帰ってから、メッセージを読んだ。
小さなカードには、時候の挨拶や、当たり障りのない言葉がつらつらと書いてあった。誰もが当てはまるような内容だった。
ただ一つ、最後に小さく、付け足したみたいに、全く上手じゃない字で、『大丈夫!』と書かれていた。笑った。
今日の二時間が彼にとって不愉快じゃなかったらいいな、と心の底から思った。